慢性痛AtoZ

 「痛み」とはなんでしょう?

 痛みという感覚はあくまでも個人的な意識内容です。性格が一人一人異なるように,「痛い」という意味も個人個人により,また同一個体内でも周囲の状況により,意味合いが違ってきます。また慢性の痛みは一種の社会的反応であるとも言えます。

 つまり訴える相手がいて初めて痛みという意識内容が意味をもつのです。また相手の反応により痛みの意味が違ってきます。個人と社会との係わり方を探る一つの手段として,痛みの意味と心に及ぼす影響について考えてみたいと思います。
 

痛みの種類

 痛みには急性痛と慢性痛があります。 
 

急性痛

 急性痛とは皮膚や皮下組織,内臓,筋肉などにある痛み神経(侵害受容器と言います)が,風邪でのどが腫れたり(炎症)ケガなどの外傷で刺激を受けて,大脳の感覚中枢に刺激を伝えることで,痛いと感ずるものです。

 一般的に痛みというとこの急性痛を指しますが,急性痛は炎症を抑える消炎鎮痛剤(一般的な痛み止め)や,組織の腫れをとる冷罨法,シップなどで炎症物質を抑えることにより,数日で改善します。この場合,刺激を受けた痛み神経は傷つきませんから後に症状を残すことはありません。
 
 

慢性痛

 しかし稀に,手術後のキズの痛みがずっと続いたり,もともとの病気は治ったのに痛みだけが残ってしまう場合があります。これは痛み神経が傷ついたための痛みで,神経障害痛と言います。手術やケガ以外にも,帯状疱疹の後に神経痛が残ったり,オートバイ事故後に多い腕神経叢引き抜き損傷,糖尿病の合併症である足の末梢神経障害,歯や鼻の炎症の後に顔の痛みが残る三叉神経障害痛など多くの慢性痛があります。

 これらは末梢神経に起るので,末梢神経障害痛と言いますが,脊髄より中枢側に原因がある場合は中枢痛と言います。末梢でも中枢でも痛み神経が傷つき,ある程度神経の修復が困難になった状態で,神経損傷部から異常な刺激が出続けるため,慢性の痛みがおこるのです。この場合,炎症は関係していないので,消炎鎮痛剤をいくら使っても効果がありません。

 この慢性痛の治療はいろいろな面から考えないと,なかなかうまくいかないものです。
 
◆神経刺激による痛み -侵害受容痛-
 痛みのもととなる刺激を受けとる神経は細い神経とやや太い神経があります。皮膚,粘膜内に存在する痛み神経や,筋肉,腱,関節,内臓などの痛みを伝える神経が刺激されると痛みが起こります。

 刺激の原因となるのは,菌が入ったりして腫れる炎症,無理な姿勢を長時間続けたり締めつけられたりして血が通わなくなる乏血などです。細い痛み神経は,炎症や乏血があるととても敏感になります。歯茎が腫れたときの漠然とした熱い感じの持続痛はこの典型です。やや太い神経は被膜に覆われ炎症や機械的圧迫に比較的強いのですが,それらが長く続くと被服が壊れてきます。すると細い神経と同じように過敏になります。

 しかし程度が軽いうちは,原因を取り除かれると完全に神経が修復され後遺症を残しません。
 
◆神経の損傷による痛み -神経障害痛-
 神経の損傷による痛みというのは,なかなか理解が難しいと思いますが,刺激が長時間続く場合,前項で説明した痛み神経の刺激だけで終わる場合はむしろ少なく,大半は多かれ少なかれ神経障害痛の要素を含んでいます。末梢神経損傷が慢性痛になるかならないかは,末梢神経の修復ができる程度の障害かどうか,ということに係わってきます。

 末梢神経は軸索という神経線維の周囲を単なる線維膜が取り囲む細い神経と,特殊な被膜をもつ太い神経に分かれます。さらにそれぞれが束になり,太い神経の束と細い神経の束が三層の被膜に覆われて外力に強い構造になっています。これらの構造がどの程度壊されるかによって,末梢神経損傷からの回復可能性が違ってきます。炎症や機械的圧迫でまず壊されるのが軸索の周りの膜で,この膜がどの程度壊されるかで回復時間は異なりますが,神経の束を包む被膜が残っていればほぼ完全に回復します。膜が壊れても短い距離なら回復可能です。しかし神経の束を包む被膜ごと完全に切断されると,通常回復は困難です。

 神経が切断されると通常は痛みは伝わらなくなります。しかし神経切断によって逆に慢性痛がおこる場合が5~10%に見られます。軸索には再生能力があり,切断端から芽が発生してきます。この芽は絶縁されておらず非常に敏感なので,そこからの過剰な刺激が中枢に伝えられ,持続痛の原因となることがあります。

 この場合脳では,神経が切断された部分からの痛みととらず,その神経とつながっていた部分からの刺激と捉えるようです。つまり腕の神経が首の脊髄神経から引き抜かれ,そこから痛みの情報がでているのに,脳では腕からの痛みと捉えることがあります。これが幻肢痛という慢性痛の原因の一つになります。断端から出た芽が塊りを形成する場合もあり,これも慢性痛の一因になっています。また神経が再生する時に,並走する交感神経と短絡路を作ることも慢性痛の原因となります。

 脳への正常な痛み情報が届かなくなったことでおこる痛みを求心路遮断痛と言います。神経障害痛はこの求心路遮断痛の原因が末梢にある場合です。損傷された神経からの中枢への刺激が途絶えると,末梢神経が脊髄に入っていく部分(脊髄後角)が非常に過敏になり,神経が障害された部分を軽く触ったりするだけで痛みが生ずるアロディニア(異痛症)が起こります。他に通常痛みを感じない温度や軽い圧迫で強い痛みが生ずるようになる痛覚過敏,痛みの性質が灼熱感で持続的であること,の3点が神経障害痛の特徴であり,神経が傷ついた部分より末梢の感覚は鈍くなります。
 
◆筋肉からくる痛み -内臓痛-
 筋肉の痛みはやや特殊で,腹痛などと同じ内臓痛としての特徴を持ちます。内臓痛は皮膚からの痛みと異なり,どこからくる痛みか分からないという特徴と,不安感や恐怖感を生じやすいという特徴を持っています。これは内臓痛が脳に伝えられる経路が,皮膚などの表在痛とは違うためです。内臓痛は,情動を生ずる脳である辺縁系に直接伝えられるため,どこから来たのかはっきりしない漠然とした痛みになりやすく,不安や恐怖などの情動も生じやすいのです。筋痛は筋肉の血のめぐりが悪くなり,乳酸など痛みを起こす代謝物の蓄積などによって引き起こされます。

 筋肉が緊張したままだと,筋強直をおこす物質も生成蓄積されるため,正常な収縮・弛緩のサイクルが妨げられて,ますます痛みの悪循環を助長します。また筋肉自体が傷つくと,初めは筋組織からの痛み情報により脊髄反射を介して筋肉の収縮が見られますが,脳からの指令で,筋組織の修復とともに筋収縮は治まって行きます。この過程がうまく行かないと筋肉内に塊りをきたし筋収縮が長く続くようになり,筋筋膜痛症候群が形成されます。特に脊柱周囲の脊柱起立筋群(傍脊柱筋群とも言います)に起こる筋筋膜痛は,睡眠障害が背景にあることが多いようです。
 
◆自律神経からくる痛み -交感神経介在痛-
 本来自律神経系は痛み情報伝達に関係する神経系ではありませんが,自律神経の片割れである交感神経の関与により痛みが持続するようになることがあります。もともと自律神経機能は自由意思での随意的な調節はできないものと考えられ,感情の変化や周囲の環境の変化に応じて,交感神経が興奮するとそれが痛みに多大な影響を与えるようになります。

 首,肩,顔面の慢性的持続痛には,この交感神経介在痛と前項で説明した筋筋膜痛症候群が関係することが多く,交感神経を遮断する治療で良くなる場合があります。

 

痛みの仕組み(中枢での痛み認知機構)

 痛みは本人にしか分からない主観的な体験であり,他人である医療者は,状況から判断して「恐らく痛いのだろう」と推測するしかありません。このように痛みの特性が漠然としていることには,私たちが「痛み」という単語を漫然と使っていることにも原因があります。

 「痛み」という単語には多くの意味合いが込められています。つまり外傷や炎症による末梢神経の刺激が電気的情報として脳に伝えられる「痛み情報」や,痛み情報により引き起こされた不快な情動反応が痛み情報と結びついた複合的感覚である「痛み感覚」,また痛み感覚が記憶された後,再度痛み情報や情動反応により痛み感覚が呼び起こされ再体験する「痛み体験」などを,すべて「痛み」という単語で言い表していることに混乱の原因があると考えられます。

 痛み体験とは,身体や精神が安全を脅かされるような危害を被っていると個人が感じたときに起こる,恐怖や怒りなどの陰性情動が,痛みという身体の症状に変換されたものともいえます。しかしその痛み体験を何らかの手段で他人に伝えない限り,痛みは成立しません

 他人に伝える手段を痛み行動といい,それには言語的手段のみならず非言語的手段による表現も含まれます。伝達様式も直接的なものと間接的なものがありますが,痛み体験の伝達においては認知機能や性格的な要素が強く影響します。また性格特性のみでなく社会的規範,道徳的観念なども関係します。
 
 痛みの治療はまず,末梢からの痛み情報を抑えることが必要です。すなわち炎症や腫瘍などによる神経の圧迫があれば,それを除去することによって痛みは取れるはずです。しかし神経が障害されたための痛み(神経障害痛)はそう簡単にはいきません。損傷を受けた神経断端や末梢神経と中枢神経をつなぐ部分(シナプス)で異常な痛み情報が出続けているので,痛み情報の質の変化を起こすことを試みることになります。

 つまり温めたり冷やしたり圧迫したり,電気刺激を加えたり,痛み神経の伝導路を神経ブロックや外科的手段で遮断すれば,当然,痛み情報を形成しているパターンは変化し,痛み感覚も変化することになります。しかし痛み感覚は痛み体験のごく一部であり,痛み感覚を変化させても,記憶された痛み体験は怒りや恐怖などの情動のみでも蘇るので,腹を立てたり恐ろしいと思っただけで同じ痛みを体験することになります。

 末梢からくる痛み情報が中枢に伝えられ,その痛み情報によって動物の本能的情動(辛さ,悲しさ,怒り,恐怖などの陰性情動)が引き起こされるのですが,この反応には大脳辺縁系が関与しています。この痛み情報と情動の複合体が痛み感覚を形成しますが,痛み感覚は人間固有のものではありません。一方,痛み感覚が繰り返されると,記憶として定着しますが,この痛み感覚の記憶は動物実験で確認できます。一度痛み感覚が記憶されると,痛み情報のない情動だけでも,痛み感覚が鮮やかによみがえって再体験されます。これが痛み体験であり,この部分までは種の固有性はないと思われます。

 痛み体験をどう認知するかという部分に至って初めて,人間に特有の個人の認知機能のみならず,遺伝的要素や生育環境,性格特性,社会的規範,道徳的観念などが関係してくるのです。中でも痛み情報をどのように判定するかという認知機能の役割がかなり大きいとされます。

 個人の主観的な痛み体験を,何らかの手段で他人に伝えることを「痛み行動」といいます。この痛み行動が出て,はじめて,個人の主観的体験である痛みが,社会的意味をもった「痛み」となります。

 

心因について

 心因という言葉の裏には,病気とはいえないもの,あるいは仮病,気のせい,などというニュアンスが含まれています。しかし心因という要素は,特に慢性の痛みの場合は,神経の病理がはっきりしている場合と重なり合っています。つまり,神経の切断であれ,痛み神経の刺激であれ,その情報が身体に害を及ぼす刺激として,末梢から脳へ伝えられ,その結果,脳からの反応として,痛み体験,あるいは痛み行動が出現してくるのですから,どんな種類の刺激による痛みでも,心因性の要素は含んでいると言えるのです。

 痛みという体験を起こす原因が何であっても,末梢から脳に伝えられる痛み情報と,実際にその人が痛みとして感じている体験との間には,個人個人で,内容に大きな隔たりがあります。その隔たりを形成しているのが,痛み情報を体験したときの記憶や,生育環境に左右される性格であったり,社会における自我の発達の程度や,知的レベルにより決定される合理的な判断力,あるいはその人なりの価値観や,対人関係における悩みの対処法であるといえます。
 
 主観的痛み体験をどう認知するかという性格的,あるいは社会的な側面により,どのように他人に申告するか,すなわちどのような「痛み行動」をとるか,が決まります。他人はその人の「痛い」という言葉により,あるいは顔をしかめるなどの,言葉によらない痛み行動を通して,痛みの強さや辛さを推測します。辛そうな顔をしているとか,うめき声を出している,あるいは痛みを体験した自分の経験などから,これはひどく痛そうだ,などとその人の体験内容である痛みを知ろうとするのです。

 痛み行動とは,言葉による場合も含め,顔をしかめる,動けない様子をするなど,表出行動という,身体で症状を表わすことすべてを指します。不安の感情や心の葛藤を,痛み感覚として体験し,身体の症状に置き換えているわけです。しかしこれらの表出行動は,慢性の痛みを持つ人ならだれでも多いとは限らず,むしろ表出が非常に少ない痛み行動をとる人もいて,このような場合は,どの程度痛いのかの評価はかなり困難になります。

痛み行動の背景にある心因

 どのような痛み行動をとるかは,本人が痛み体験をどう捉えているかによって決まり,その捉え方には本人の性格的な背景に,不安やうつ,神経症などの傾向がどれだけあるかが関係してきます。

 慢性の痛みを訴える方の性格の背景には,不安やうつという状態が,多く見られます。これはセロトニンなどという脳の物質が,慢性の痛みにも影響しますし,不安・うつ症状にも関係するためです。

◆痛み行動の背景にある心因 -不安感-
 一口に不安といっても,正常範囲の不安と,病的な不安があります。

 病的な不安というのは,何のきっかけもなく急に強い恐怖感,不安感に襲われて,極端な場合はこのまま死んでしまうのではないか,気が狂ってしまうのではないか,という感覚にとらわれてしまう状態です。急に動悸がしたり,息が出来ない感じ,手の震え,手や額に汗をかくなど,本当に恐ろしい目を見ると誰にでも起こる身体の反応が,それほど恐怖の対象にならないような,人ごみや,狭い電車の中などで起こります。

 また漠然とした,えも言われぬ不安感が常に付きまとい,自分ではその不安感をどうしようもなく,外にも出られなくなって,周囲から引きこもってしまうという場合もあります。痛みとして表現される場合,意識されない過去の記憶の中に,身体的な痛みを伴った強い恐怖の体験が潜んでいる事があります。
 
◆痛み行動の背景にある心因 -うつ症状-
 慢性に痛みがあるとうつ状態になりやすいのですが,これは脳内の痛みを抑えるセロトニンなどの物質が,安心感や幸福感を生み出す役割も備えており,このような物質が枯渇することにより,痛みも感じやすくなり,同時に抑うつ気分も生じてくる,ということから,慢性の痛みとうつとは切っても切れない関係にあります。

 慢性の痛みの原因が何かの病気,特に重篤な病気の場合は,自分がこのような病気になるはずがないという否認や,どうして自分がこのように苦しまなければならないのか,という怒りが生じやすいといわれています。生命の安全感を失う,いわゆる喪失体験が,慢性の痛みを引き起こし,同時に抑うつ状態になるとも考えられます。

 慢性の痛みと,気分障害としてのうつ病には類似点が多くみられますが,慢性の痛みに付随する抑うつ状態については,通常は慢性痛の方を取りまく社会環境から,反応として引き出された,二次的なものであると考えられます。
 

◆身体表現性障害
 また従来は神経症としてまとめられていたグループのうち,精神的な不調を,何らかの身体の症状として表現する状態を,身体表現性障害といいます。

 この身体表現性障害は,慢性の痛みの本質にかかわる精神状態であるといえます。すなわち,痛いと訴えると,他人からの同情が得られることから,当然,痛みを訴える事により精神的苦痛が解決する,などという「疾病利得」という状態が発生してくるので,無意識に「痛い」という訴えにこだわってしまう人がいるのです。心のどこかに,痛みを訴えることにより,今自分が置かれている苦しい状態から,何とか抜け出させて欲しい,という願望が潜んでいる可能性があるわけです。


 これらの心理的背景が,心因といわれるものです。つまり心因とは,痛みの神経から発せられた痛み情報を,痛み感覚や痛み体験を通して,言葉や動作による「痛み行動」という,他人に捉えやすい形にする,いわば変換器のような役割を果たすものなのです。

 そして心因には,痛み情報をどう体験するか,という部分と,痛み体験をどのような痛み行動に移すか,という部分があります。これには,生まれつきの能力や,後天的な性格,生育環境により育てられた社会適応力,などの要素が関係してきますが,特に痛み体験を痛み行動に移す部分には,痛み行動を起こす場面に登場する人物との交流が慢性痛の痛み行動と強く関係してきます。つまりある性格傾向をもった人とかかわりのある周囲の人々が,言動によって慢性痛の人のこれまで取ってきた痛み行動という結果を引き出したのです。
 
 

慢性痛のまとめ

 末梢からの痛み情報が大脳に伝わると,大脳ではそれを経験的危険性や情動反応の候補,合理的判断,今後の予測など,すなわち認知機能を駆使して判断します。同時に情動の脳である大脳辺縁系では,過去の記憶との関連付けから何らかの情動情報を大脳に送り出します。送られた情動情報と痛み情報から大脳が創り出す身体的反応が痛み感覚であり,記憶された痛み感覚を何かのきっかけで再体験しているのが痛み体験です。

 痛み体験は個人的なものですが,痛み感覚の本質は身体や精神が危害を被っているという痛み情報を認識したときに起こる,恐怖や怒りなどの陰性情動の身体化・行動化と考えられます。それが慢性痛になるかどうかは各個人の認知機能や社会環境などで決まってくるのです。

 痛みに対する医療者の係わりは,主に,末梢からの痛み情報を出なくさせる部分と思われがちですが,これまで解説してきた通り,痛み情報の質の変化が起こっても,痛み体験が出来上がっている場合は,中枢側の記憶を弱めなければ,恐怖や怒りのみで痛み感覚が蘇る可能性があります。

 また痛み情報の変化は新たな痛み感覚を生み出す可能性があり,できるだけ陰性情動を起こさせないようにする必要があります。そのためには安心感を生じさせる必要があり,セロトニンを増加させる薬物が有用でしょう。またストレス系が過剰に活動している場合は,それを抑える治療も必要です。 
 
 痛み情報の抑制がうまくできたとしても,その後の痛み体験が記憶から忘れられる,あるいは受容可能になるまでには相当の時間を要します。慢性の痛みを訴える方の不安・うつは誰かができるだけ支え,神経症的訴えに対応しながら,安心感が回復するまで支持する必要があります。

 認知機能が低下している場合や周囲の社会的援助が受けられない場合などは,誰かができる範囲の社会資源を活用し安心して暮らせる環境づくりに協力する必要も出てくるでしょう。このように慢性痛の発症には,身体的な面のみでなく,心理社会的な面もかなり重要な役割をもっているのです。

 
 
 
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